各国代表者一覧表 昭和天皇は、WW2前後の期間中 「ただ一人の責任者」 として戦いました。他国は 「複数名の責任者」 を立てて輪番で戦いました。そしてただ一人 「戦争目的」 を掲げて戦いました。それは 「西欧植民地廃絶、アジア諸地域の主権獲得」 でした、結果、日本は敗戦国とはなりましたが多くのアジア地域独立国を生みました。 |
「国際人道法」についての覚え書き、2014年10月14日、記。 |
「国際人道法」と言う概念が人類史に登場するのは 1971年です。
20世紀初頭の地球を「覇権(最強国の力)」で覆い、暴力的な秩序を保っていたのはイギリスでした、「部分的人道概念」としては「陸戦条約」(1907年)のみがありました。 「人道」について考えるならば、基本的無秩序の中での上記二つの「捕虜関連条約」は「偽善(強者間のみで通用する善)」でした。 第2次世界大戦(WW2)では文明先進諸国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ)が後進諸国(ソ連、イタリア、日本)を巻き込んで「覇権」を競い合いました。どの国も負けないためにはありとあらゆる手段を講じました。既述の2つの「部分的人道概念」は「偽善」でした。 WW2後(1949年)にジュネーヴ4条約が「人道概念」を補強しましたがまだまだ不十分で、アメリカですら1965年にベトナム北爆でダイオキシンを使ったのです。 しかし、人類は絶望から抜け出し、1971年に「国際人道法」と言う概念を国際会議に登場させました。人類はやっと「人道上の罪を裁く事」が出来るようになったのです。 |
昭和10年代(1935-1944)の日本は激変の時代でした、この期間に「武士道」は変質しました |
1935 国体明徴声明(「天皇は神である」と国民を教育)
1932 満州国建国 1936 2・26事件 1937 日中戦争 1941 太平洋戦争 1943年5月 アッツ島守備隊全滅までは「玉砕」は西郷隆盛が明治政府成立時に述べた軍事学上の「玉砕(輝きながら死ぬこと)」に合致したが、アッツ以後は「玉砕」=「全滅」と変質した。 日本古来の軍事学である「武士道」では「戦わずして勝つ事」 「名誉を重んじる事」「己を知り敵を知ってこそ敵に勝つことが出来る」「大将が切腹自殺して家臣の命は助ける」「家臣は無能な大将を裏切って有能な敵の大将に付く」「捕虜になり命だけは助かって再起する」等があり、「全滅」は武士と武士が戦う時には起きなかった。 |
ドイツでは良心を理由に兵役は拒否出来ることが法律で定められており、その代わり 13ヶ月間 の社会福祉活動が義務づけられる、Wikipedia。 |
2009年12月13日、土山秀夫 元長崎大学長が 「アジア地域の不安定さ」
について、
「根本的解決には、北東アジアを 『非核兵器地帯』 とする事が必要」 と述べています。
このページにも、非核兵器地帯構想その1、 非核兵器地帯構想その3 を書きとどめています。 私は「核兵器は核兵器保有国へのみ向けられる」 が世界の常識だと思います。 |
国名 | イギリス | アメリカ | 中国 | 日本 | ロシア(ソ連) |
責任者 | (WW1前後)
アスキス ロイドジョージ ボナー ボールドウィン |
(WW1前後)
ウィリアムタクト ウルソン ハーディング |
(WW1前後)
袁世凱 孫文 ▼蒋介石*不仲*毛沢東 |
(WW1前後)
大正天皇 ▲▲先頭へ▲▲▲ |
(WW1前後)
ニコライ2世 レーニン スターリン |
責任者 | [WW2前後]
マクドナルド ボールドウィン マクドナルド ボールドウィン チェンバレン チャーチル アトリー |
[WW2前後]
クーリッジ フーバー ルーズベルト トルーマン アイゼンハワー ケネディー |
[WW2前後]
▼蒋介石*内戦*毛沢東 両者は、日本に対してずーっと非協力的だった、日本が負けたとたんに 内戦、 結果は1949に毛沢東が勝ち、蒋介石は 台湾 に逃げた |
[WW2前後]
昭和天皇 |
[WW2前後]
スターリン マレンコフ フルシチョフ |