核実験の一覧 |
世界4大事故
2011,3福島第1 1986,4チェルノブイリ 1979,3スリーマイル 1957,10ウィンズケール(セラフィールド) |
PTBT、部分的核実験禁止条約
CTBT、包括的核実験禁止条約 |
GNEP、国際核エネルギー・パートナーシップ | NSG、核拡散防止の個別具体措置 |
PTBT 発効中
部分的核実験禁止条約、地下核実験はやってもよいがその他の空間では禁止、「禁止」を守っているのは 米 英 露 だけ CTBT 未発効中 包括的核実験禁止条約、大気圏中、水中、宇宙空間、地下などあらゆる空間での核実験を禁止する条約、批准国数が規程に達しないため未発効中 |
GNEP 2000年現在では名前が IFNEC となっている、国際核エネルギー・パートナーシップ |
NSG インドを核の分野で孤立させることによって核の不拡散を図るというアメリカの措置だったが、インドの「中国からの核攻撃の恐怖」の訴えに耳を貸す態度に変化、インドの核保有を認めた、このため核は拡散し放題となった |
PTBT
▲▲先頭へ▲▲▲ ★、 1963年8月5日にアメリカ、イギリス、ソ連との間で調印された自覚国間自主条約であり国連条約ではない、その後同年10月発効、発効までに108カ国がこの条約に調印した。 ★、1996年は記念すべき年、この年をもって「地下核実験」も終わった、したがってすべての核実験は終わった。理由は「正義の自覚」、「終わり」を宣言した国はフランスと中共国。日本の現職大蔵大臣武村正義氏も抗議デモに参加のためタヒチまで行った。 CTBT ★、1996,9 に国連で採択、 ★、2009,4 オバマ大統領はプラハ演説で、この条約の実現を約束した |
高速増殖炉で核燃料を増殖してパートナーに配る計画だったが増殖には危険が伴うので ★、1994年にクリントン大統領が実験炉を閉鎖。 ★、2006年にブッシュ大統領が復活させた。。 ★、2009年にオバマ大統領がこの計画を廃棄した。 |
★、1978年、核兵器を持ちたがっていたインドに危険を感じたアメリカがインドに核物質を与えないことによって核の拡散を防ごうとした。しかし、 ★、2008年に、インドからの「中国核兵器の脅威」を熱心に訴えられてインドに核分裂物質を特例として供与、以後は核拡散に歯止めが利かなくなった。 現在の世界は無秩序早い者勝ちの雰囲気(特に北朝鮮は核兵器の巨大化特殊化の道を突っ走っている)となっている |
最新の周期表はここ、これは筆者考案の「世直し周期表」ですがメンデレーエフが発明した空欄の多い表はWikipedia 等のネットページで引き当てることが出来ます |
「力」を宿しているところの表記 | 「力」の表記 | 発電所の表記 | |
間違った表記 | 原子 | 原子力 | 原子力発電所 |
正しい表記 | 核 | 核力 | 核力発電所 |
なぜ、小倉が予定されていたのに長崎に変更されたのか
それは、小倉工場群が一斉に工場排煙を上空へ向けて吐き出し、煙幕により視界を悪化させたから、プルトニウム型原爆を搭載したB29爆撃機は 小倉 をあきらめて、視界良好の 長崎 に核爆弾を投下した |
アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、
≪1946年から1958年まで(12年間)≫、初の水素爆弾実験(1954年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、≪1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。UNESCOより |
<寸考 湯川英樹と原子力委員会>
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1963年8月5日にアメリカ、イギリス、ソ連との間で調印された、その後同年10月発効、発効までに108カ国がこの条約に調印した。また、中共国とフランスを含む十数カ国は調印しなかった。
特徴1,国連での議決ではない、自覚国間自主条約である、そのため厳密性に欠けている、例えば実験回数や規模の制限への言及がない。 特徴2,条約自発締結の動機について、それは、 @1962年のキューバ危機が世界全面核戦争に発展するおそれがあったことへの反省。 A実験に伴う「死の灰」による死者が出ていることへの反省 Wikipedia を部分参照。 |
NPT (加入=サインした日) | IAEA査察 | U235濃縮 | 民生用(商用)原発(核力発電所) | プルトニウム核実験(プ)、水爆実験(水) | 再処理の機構 | |
北朝鮮 | 1985加入 2003脱退 | 1992受け入れ 1994拒否 2003のNPT脱退に至るまでに数回にわたり受け入れと拒否を繰り返す | 1960ごろ〜 | 無 | 2006(プ)と2009(プ) | 有(軍用) |
イラン | 1968加入 | 2008受け入れ | 1980ごろ〜 | 無 | 無 | 無 |
イスラエル | 未加入 | 無 | 1950ごろ〜 | 有 | 1969(プ) | 有(軍用、民生用) |
インド | 未加入 | 2008受け入れを約束 | 1950ごろ〜 | 有 | 1974(プ)と1998(プ) | 有(軍用、民生用) |
パキスタン | 未加入 | 無 | 1950ごろ〜 | 有 | 1998(プ) | 有(軍用、民生用) |
英米露仏中 | 英米露は1969加入 仏中は1992加入 | 適時受け入れ | 1940〜50ごろ〜 | 有 | 1945以降多回数(英米露仏中はプも水も実験) 仏中は1996まで地上核実験を行なった | 有(軍用、民生用) 米は中断している |
日本 | 1970加入 | 適時受け入れ | 1960ごろ〜 | 有 | 無 | 有(民生用、一般炉用は本格稼働に失敗して停止中、高速増殖炉用は立地未定) |
韓国 | 1968加入 | 適時受け入れ | 1960ごろ〜 | 有 | 無 | 無 |
各町別数値と 集計、および降下量の平均値計算等はここに在ります |
爆発の種類と詳細, Wikipediaを参照 | 風向き,出典は https://www.afpbb.com/articles/-/2790832 「世界の気象学者、風向きを注視 福島第1原発の事故で」 |
★2011年3月12日 6:00 1号機 炉心熔融(爆発)
★3月13日5:30 3号機 炉心熔融(爆発) ★3月14日11時1分、 3号機 水蒸気爆発し大破、 炉心熔融(爆発)、燃料プール付近で一瞬の赤い炎が発生し、爆発煙が上がった(核爆発であるとする学者もいる)。大量の瓦礫が高度数100mまで巻き上った その後数日間、3号機建屋からは何度も煙が上がった ★3月15日6時14分頃 2号機、炉心熔融(爆発)、大きな衝撃音が発生 事故で放出された放射性物質は、15日に2号機から放出されたものが最も多かったと推定されている ★3月15日6時14分頃 4号機 大きな衝撃音と振動が発生し、その後4号機原子炉建屋の損傷が確認された 3号機建屋の水素が4号機建屋へ漏れたことで水素爆発が発生したと推定されている 4号機は定期点検中で燃料は貯蔵プールに核廃棄物と共に貯蔵されていたが水漏れで燃料が露出したための露出燃料の熔融爆発があった、幸運にも地震でのひび割れヶ所から、隣の貯水プールの水が流入したので4号貯蔵プールに水が流入、奇跡的に貯蔵プールの過熱は止まった |
12日と13日の風は、それぞれ北東と東に向けて吹いていた
15日は北東からの風に変わった |
福島第一原発事故時の風向きについて
出典 : https://www.afpbb.com/articles/-/2790832 世界の気象学者、風向きを注視 福島第1原発の事故で ≪2011年3月16日 20:06≫ 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ, フランス ] 世界気象機関(World Meteorological Organization、WMO)によると、福島第1原発で爆発が起きた12日と13日の風は、それぞれ北東と東に向けて吹いていた。原発から太平洋に抜ける方向だ。「この時の福島県沖の気象状況から判断すると、放射性物質は陸地の方向には拡散しなかったとみられる」と、WMOの防災プログラムの責任者は語る。 だが日本の気象庁からの情報によると、15日は北東からの風に変わった。16日は地表付近と上空1000メートルでは、当初は北風だが後に西からの風に変わるとの予報だった。17日以降は、気象状況によって風向きは変動すると見込まれている。 米国海洋大気庁(National Oceanic and Atmospheric Administration、NOAA)のモデリング・プログラムを用いて放射性物質が飛散する可能性がある地域を予測した米国の気象学者、ジェフ・マスターズ(Jeff Masters)氏は、放射性物質のほとんどは日本の東北地方の太平洋岸にある福島第1原発から東の太平洋方向に拡散し、少なくとも5日間は太平洋上空を浮遊するとみているが、人体に有害となる放射性物質が7日間以上も大気中を浮遊し続けて2000マイル(約3200キロ)を超えて拡散する可能性は、ほぼないだろうとみている。 一方、フランス気象局(Meteo France)予報部門のシリル・オノレ(Cyril Honore)氏はAFPの取材に、「日本は温帯に位置するため、風はおおむね西から東に向かって吹く。だが、気団(温度や湿度などがほぼ一定の空気のかたまり)や雲は何かに囲われているわけではないので、乱気流が起きれば垂直方向にも水平方向にも風の吹く方向に拡散していくだろう」と話し、放射性物質を含んだ微細なちりが福島第1原発から広範囲に広がる恐れがあると指摘した。(c)AFP/Anthony Lucas . |
関連重用諸情報検索欄 【4号機に神の手】、【福島第2原発も奇跡的幸運、毎時1千万ベクレル放出中】、【1u当たり放射性セシウム(Cs134+Cs137)1万ベクレル】が汚染の目安、【ベント】 ▲▲先頭へ▲▲▲ ◆4号機は神の手で救われたが予断を許さない状態にある ◆福島第2原発も幾つかの幸運が重なって奇跡的に助かった ◆今も毎時1千万ベクレル放出 ◆1u当たり(Cs134+Cs137)が1万ベクレル、これ以上の場合核力発電所(原発)事故の影響ありとされる ◆大飯原発にはベント装置が付いていない |
死者について
原子炉爆発放射線直接被曝による死者は0人。事故現場残骸処理にあたった作業員の死者数は推定で 4300人超、自宅に帰ってから心筋梗塞で死んでいる (児玉龍彦 東大教授の談話)。 アメリカ軍は事故直後に多勢の兵士を派遣し 「ともだち作戦」 という遭難者発見救出作戦を展開した、この時に兵士達は空から降ってきた放射性物質や土中及び海中の残留放射性物質により直接的に被曝した、帰国後この被曝のために数万人が死亡しておりその兵士の遺族達はアメリカ合衆国を提訴しているが真剣な対応は為されていない (中村敦夫氏の朗読劇、2018,3,21 於滋賀県栗東芸術文化会館)。 |
食料品汚染例
2011年度の静岡茶が放射性物質汚染で出荷停止、代わりに 鹿児島茶が使われ、両者の味はほぼ同じであることが分かり、静岡茶の品質優位性が揺らいだ(森田敏也 氏 信楽ヴィラ講演[2018,8,20]で聴取) |
地殻ひずみ集中帯について 今回の地震は、太平洋地殻プレートがアジア大陸地殻プレートに潜り込んで先端が跳ね上がったことが原因であるが、この潜り込み現象は日本海沿岸地方に 「地殻ひずみ集中帯地震」 を引き起こすことが多い、幸いにも今回は両地震が同時には起きなかったので日本海側原発(核力発電所)への被害はなかったが、ひずみ は今後も蓄積されてゆく、もし、日本列島の日本海側で 「地殻ひずみ集中帯地震」 が起きれば(過去にはすでに起きている、1948 福井地震)、福井県の 「原発銀座」 とよばれる一帯の原発達 16基 は全滅的被害を受け、その悪影響は びわこ を汚染し、広く関西全域に及ぶと予想することが出来る(森田敏也 氏 信楽ヴィラ講演[2018,8,20]で聴取) |
事故直後の政府対応はあいまいだった。原発爆発時緊急対応マニュアルが無かったためです。
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138億年前(距離にして138億光年のかなたで)、神が「無」の中に「光の点」を作り 点 は爆発的に大きくなった ⇒ 光の中に 水素とヘリウム が生まれた ⇒ 恒星核融合反応で 水素とヘリウム は様々な形でくっつき 鉄 以下の原子が誕生し超新星爆発によって宇宙にばらまかれた ⇒ 宇宙の中の恒星達の老化により中性子星が誕生し、中性子星合体現象により、内部にコバルト〜ウランという重い元素も誕生し宇宙にばらまかれた、45億年前に宇宙は安定した(地球の誕生) |
以下は Wikipedia のコピーただし [ ] の部分は森本が挿入
初期の宇宙では、元素はほとんどが水素とヘリウムの同位体で、わずかにリチウムとベリリウムの同位体が存在する程度だった。それよりも重いホウ素、炭素、窒素、酸素、珪素や鉄などの元素は恒星内部での核融合反応で生成し(s過程、[スロー、数千年の長時間])、超新星爆発により宇宙空間にばらまかれた。 ▲▲先頭へ▲▲▲ 超新星とは 「知られていた新星よりはるかに明るく輝く星」 という意味である。 現在超新星爆発は我々が住んでいる銀河系の中で、100年から200年に一度の割合で発生していると言われている[2]。また、平均すると1つの銀河で40年に1回程度の割合で発生すると考えられている 鉄よりも重い元素は超新星爆発時に生成したと考えられている(r過程 ラピッド[数秒の素早やさ])。しかし、最新の研究では金やウランなどの重い元素は中性子星の合体で作られた可能性が高いとされている。 中性子星とは恒星進化の最終段階に見られるもので、非常に強い重力のために原子核に電子が吸収されて [ 陽子が中性子となり ] 星のほとんどが中性子からなっている。直径は10km(0.001万km)程度でも、質量は太陽と同じ程度の非常に高密度の星である。光の速度は約 30万キロメートル毎秒 [太陽の直径は 約 140万Km、地球の直径は 1.2万Km、月の直径は 0.36万Km ] |