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1995年(平成7年3月 ) 東京地下鉄サリン事件、オウム真理教、(宗教団体)の犯行。13人が死亡、6千人以上が重軽傷。選挙に出た信者が国民から相手にされず一人も当選しなかったため暴力で国政を乗っ取ろうとしたテロ事件、その他多種多様の事件を起こした。
以下はその概要についての解説です。
[解説]
ー・−・−以下は
オウム真理教の不気味さの解説です・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
1990年 の衆議院選挙立候補直前の彼は一見どこにでもいる比較的 「好青年」 の印象、しかし、選挙に落選するや 1992年 「宗教の条件」 という書籍を出版し、テレビでは「今後は 武力 を用いて国政を変える」と述べるまでに変貌しています |
教祖の松本智津夫は詐欺の能力だけが強い凡庸な人物であり、社会が彼を自信過剰に仕立て上げました、特にマスコミが。およそ宗教や国家政治からはかけ離れていたにもかかわらず、かつては国際共産主義を心の支えとしていた 「現実と折り合えない若者」 の未熟な心を「マインドコントロール(騙すこと)」する能力は並はずれて高く、東京大学理学部学生や医学部学生までもが彼の餌食となった。
「世界は邪悪な陰謀により支配され、そのもたらす破局を生き延びられるのは自分達だけ」
「阪神淡路大震災は支配者が地震兵器を用いた証拠である」
「エボラ出血熱やエイズは米軍の生物兵器だ」
等の妄想を信じて「出家(家族を捨てる事、親の遺産を全部寄付させる、自分の血液を薄めたものを百万円で買わされて)」した信者たちに妄想通りの国家を作らせようとした。
2017年現在、未だにサリンの後遺症で苦しむ人は多く、松本智津夫の妄想によって優秀な息子や娘を奪われた親兄弟の悲しみは深く、且つ、未だにいくつかの「分派」が活動している。
大学の学園祭での講演会、出版物の大量刊行、ロシアやスリランカなど海外にも支部を置き、最盛期(1995)で信徒 15,400人(出家1,400人、在家14,000人)。
裁判は2017年に至るも終わらず、教祖の判決は未だ決まっていない、13人の死刑判決、5人の無期懲役判決は決まったが死刑の執行はされていない。
憎悪や偏見がたっぷり詰め込まれた妄想が人を取り込み、暴走させる危険は今なお消えていない。健全な懐疑精神の大切さは事件の忘れてはならぬ教訓だ(2015,3,24 毎日新聞 余禄 の記事とWikipediaを参照)
ー・−・−・以上は
オウム真理教の不気味でした
★註、彼は6名の幹部と共に
2018年7月6日 死刑に処されました、彼は新聞ラジオ、テレビなどに登場させられるたびに詐欺師としての本性が増幅され、ついに殺人まで詐欺感覚で犯すようになったのです。
★註、追記、2018,7,26 死刑が確定していた残り6名の死刑が執行され、13名全員の死刑執行が本日で完了しました。−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
ー・−・−以上が
オウム真理教の不気味さの解説でした・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
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2021年の日本の皇室はかつてのGHQ占領政策(日本の無力化政策)の悪影響が具現し、いつの間にか皇室が弱体化し、「皇統断絶の危機」に直面しています、私は「打開策(下の図 案@、A)」を思い描くことによって絶望から脱出しました。、
参照文献 : 「誰があなたを護るのか」青山繁晴 著 扶桑社。
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寸考 : 日本における 「権威」 と 「権力」 の柔軟な関係について
日本では古来、「
権威は天皇に」「
権力は大名に」という統治現象が見られます。天皇は文化性の高さを極めようとする姿が尊敬され、大名は「武士道」を極めようとする姿が尊敬されてきました。
「権威」の誕生は
仁徳天皇(370年頃)、確定は 645年 の大化の改新です、地方豪族に智恵で勝った「天皇」が日本を統一しました。以後、天皇家は「神道」という「祈りの深さの
権威」、「おもいやりのこころの深さの
権威」、ひらがなでの「文章表現力の
権威」、「美的感覚力の
権威」、の最高水準を目指し精進を重ねて行きます。
この
「権威」は 皇統の夫系系譜 によって受け継がれ、夫系をたどれば天皇の祖先である天照大御神に到達します。
「権力」の誕生は 1192年 の鎌倉幕府です、天皇の身辺警護軍隊である 源氏 と 平家 が戦争して 源氏 が勝ったのです。
「権威」との違いを強調するために称号を「将軍」とし、東方へと遠く150キロほど離れた 鎌倉に 「城」 を築き日本全国の軍隊(大名達)を統率しました。
その後の「将軍家」は天皇家のようには続かず、次々と「力」のあるものが互いに戦争をしては「幕府」を作り「将軍」となります、京都〜鎌倉〜江戸と「幕府」は移動し、江戸(東京)に「江戸幕府」(1603年〜1867年)を徳川家康が定めてからは安定した
「権力」のもとに江戸を中心とした、世界史上最も民度の高い文化が続きました。世界で一番の人口を抱えていたにも関わらず水を大切にし、人糞尿を肥料とする生活習慣のゆえに、江戸はその清潔さに於いて世界一でした。また、動力を使わない技術の水準も世界一で、庶民の識字率も世界一で、庶民文化が花開きました。
平安な日本社会を不安のどん底に投げ込んだのは「鉄製の軍艦」で江戸湾に突然現れたぺリー艦隊[1853年,1854年](アメリカ)でした。日本には古来 「石炭」を使う習慣は無いにも関わらずぺリー艦隊は石炭を使った動力で鉄の船体を動かしていました。
最も衝撃を受けたのは
「権力」の中心である「幕府」でした。世界一の文化性は持ちながらもあまりの「技術力の差」に驚いた「大名」達は日本各地で「西洋式技術」を取り入れて対抗しますが高性能大砲による艦砲射撃の破壊力は想定外でした(於土佐)。
「幕府」は大名たちを集め、「天皇」の持つ
「権威」を政治利用することにしました(大政奉還)大名同士がいくら団結しようとしても、「戦い」の本能が強いので「まとまる」ことは出来ず、ついに「天皇」という
「権威」にすがって国をまとめることが出来、西洋ではたくさんの貴族が殺されて成し遂げた「近代化革命」を「江戸城無血開城」で平和的に「近代化革命」を成し遂げたのです。「大名」たちは「天皇」の持つ不思議な力(民のために祈る力)を信じて「明治天皇」のもとに団結し、富国強兵・殖産・興業の道を突き進みます。
しかし、大東亜戦争には負けました(1945年)、
国民を正義の戦争(大東亜共栄圏確立戦争)へと導いた「昭和天皇」はマッカーサーGHQ長官を通訳一人だけを従えて訪問、「全責任は私にある、絞首刑は覚悟している。しかし、皇室に伝わる宝物の目録を持ってきたからこれを食料と交換してほしい、国民や外地からの引揚者たちは餓死寸前である、このままでは2000年間預かってきた 民 を絶滅させてしまう」
マッカーサーは昭和天皇の愛情にあふれた
「権威」を目の当たりにして
その誠実な態度に「骨の髄まで」感動したと自伝に書いている Wikipedia。
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★、BC 660年 の日本、「国産み神話」、大神はヤオヨロズの神々と日本の島々を作った[「西洋神 と 日本神」(比較寸考) 有り]
★、370年頃(仁徳天皇のころ)[古墳時代(日本)] の世界図、東の端には 日本(倭)が現れています
★、仁徳天皇(370年ころ、民のかまどの煙で凶作を知り6年間無税政策) ★、聖徳太子(604年、17条憲法、第1条は「和を以って尊しとなせ」 第17条は「重要な事柄は 議論 せよ」)
★、日本の宗教事情
★、アジア史簡略表記